ズュースキントのコントラバス

久しぶりの投稿ですが、楽団四器は来年の1月と2月にライブを予定していて、そのための構想を練っているところです。

しばらくご案内することもありませんので、ちょっとした話題を。

コントラバスに関するものを集めたり、またはなぜか変な引力に寄せられてものが集まってきてしまうというおかしな習性があります。私の場合は収集癖がないのですが、それでもなぜかコントラバス弾きのオブジェが部屋の片隅に鎮座しています。これはどなたかからの戴き物です。

書籍に関してもなかなか面白いものがあって、溝入敬三さんによる『こんとらばすのとらの巻―音楽とコントラバスを愛する人のための事典』は、コントラバス弾きにしか絶対に書けない抱腹絶倒の事典(形式のエッセイ?)です。一般の方もぜひどうぞ。

それから、パトリック・ズュースキントの『コントラバス』(池田信雄・山本直幸訳)というものがあります。これは、同学社の「新しいドイツ文学シリーズ」の1冊なのですが、1949年生まれの劇作家による戯曲です。

こんな主題で上演してしまうドイツという国も、またこのようなタイトルを翻訳出版してしまう日本という国も、実はコントラバスという楽器が国民に愛されているのかもしれないと一瞬錯覚してしまいます。あとがきによれば日本でも上演されたようです。

この作品は一人芝居で、基本的に、地方のプロ・オケのうだつの上がらない独身コントラバス奏者奏者のモノローグとなっています。そして、小道具にコントラバスが使われます。小道具じゃななくてもはや大道具だろう、と突っ込みたくなりますが。

この登場人物のコントラバスについての表現の辛辣さといったらすごい。溝入さんの著作ではないですが、絶対にコントラバス弾きでなくては書けないような表現が次から次へと出てきます。ズュースキントの作劇動機はまったくもって不明ですが、とにかくコントラバス奏者に対して丁寧に取材していることだけは事実でしょう。

見落としてはいけないですが、日本語の翻訳も音楽家から見てもとても自然だということです。MラカミHルキ訳のジャズ関係の本(ビル・クロウの本など。ちなみにクロウ氏もベーシスト)には明らかに誤訳と思われる音楽用語や表現が散見されることがあって、なかには原文が思い浮かぶほどのものもあるのですが、この戯曲に関してはそれがほとんど見当たらない。日本語としてはもちろん音楽家が使う言葉遣いの観点からも、「翻訳はどうも苦手」という方にも満足できる日本語になっているように思います。

ところでこの作品、名古屋で上演される予定はないでしょうかね?

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中